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【校長インタビュー】地域にひらかれた学校をみんなでつくる

種市高等学校

 種市高校では、生徒はもちろん、教員もいきいきとそれぞれが考えながら動いています。2021年度から種市高校の校長を務める村上智芳校長は、生徒の「種市高校で過ごしてこうなりたい」、教員たちの「地域の中で生徒をこのように育てたい」という想いを生み出しています。
今回は、その背景にある想いや村上校長のこれまでのあゆみを辿ります。


あたたかいこの地域で

 大船渡市出身の村上校長。種市高校に来る以前は県南の高校にいることが多く、1番北でも宮古市だったので、最初は種市高校がどこにあるかも知らなかったそうです。

村上校長:「沿岸、県北、南部もぐり…と聞いて想像するのは荒っぽい生徒でした。しかし、実際に来てみたらいい意味でその想像が全く違って。素直で真面目な生徒ばかりで、いい学校に来たなあと思いました」

普通科はどの学年も生徒が10人ほどしかおらず、教室が寂しい印象を受けますが、授業が始まってみると少人数をいかした授業をしており「これは学力も伸びるな」と感じたそうです。
また、種市という地域に対してもこう感じています。

村上校長:「種市の人って、受け入れてくれるんですよ。私みたいなよそものも。そうでない地域もあると思います。種市は何年でもいたいと思える地域ですね」

 種市高校を「地域にひらかれた学校」にしたいと語る村上校長。その背景にはよそものや高校生をあたたかく迎え入れてくれる地域の存在が大きいのかもしれません。
また、2022年1月に就任した岡本正善町長の「洋野町を住んで良かったと思える町にしたい」という言葉にとても共感したと言います。

村上校長:「この職についてからずっと思っていることなんですが…生徒が入りたい、入ってよかった。保護者からすると入れたい、入れてよかった。そして私たち教員からすると勤めたい、勤めてよかったなと思えるような学校にしたいとずっと思っていて。町長の言葉を聞いて、種市高校もそうありたいと強く感じました」

 今春の卒業生からは「種市高校に入って良かった」という声も多く、保護者からも「弟や妹もぜひ種市高校に入れたい」と言われたことがとても嬉しかったと語ります。

校長という立場でも

 村上校長は、校長としてはこの種市高校が初めてでした。

村上校長:「校長になるときに『校長は決断をしなければならない、孤独なんだよ』と言われてきて……しかし、1年間勤めてきて全然そんなことなかったです(笑)」

どうしてかなと思って考えてみたところ、仕事をするときに「先生方が自分の判断で動ければいいんだろうな」と思ったそうです。校長や副校長に言われたことをやるのはもちろん大事ですが、その中でも自分のやり方でやることでやりがいを感じてもらいたいと考えています。

村上校長:「決定権のある校長が、決定権を先生たちに譲ればいいのではないかと思っています。あたりまえですが、先生方は先生のプロなので、『これでいい』と思って動くことに関して、私が口出ししないことを意識してやってきた1年でした。先生方がやりがいを持つということは、生徒に対しても前向きに教育ができる状態になるのではないかと思います」

実際に、種市高校にはそのように考えて動ける先生方が多いと自負しています。

村上校長:「『校長はこうあるべき』もなく、孤独感もなく。今でも試行錯誤していますが、自信を持ってできたらいいなと思っています」

生徒や教員、コーディネーターをいつでもあたたかく柔軟に受け入れてくれる村上校長。周りの方々に恵まれているからこそ、いろいろなことを任せることができるのだと言います。

周りの人々に支えられながら

 種市高校だけでなく、今までの人生でも「周りの人々に支えられながら生きてきた」という村上校長。教員になり、校長になるまでのお話を伺いました。

村上校長:「自分の中で1番大きかったのは、浪人したときに同級生に生活を支えてもらった経験です。大学には行けない家庭だったのですが、どうしても大学に行きたかったので自分でどうにかすることにしました」

アルバイトをしてお金を溜めながら浪人しようと思い、上京することに。当時はインターネットもなく、情報を得る手段がありませんでした。そんなとき、試験を受けて合格すれば学費が無料になる予備校を見つけます。一念発起して勉強し、無事その予備校に入学することに。予備校では、毎週試験があり、不合格だと授業料を払わないといけないということを知り、必死で勉強して1年同じクラスを維持できたそうです。

村上校長:「最初は住む場所もなくて、安いホテルに滞在していましたが、予備校で同じクラスの人と仲良くなって、友人5人と共同生活をすることになったんです」

昼は予備校で勉強し、夕方からはバイトに向かう日々。家事はみんなで分担していたことで負担も少なかったため、生活は他の人たちに支えてもらったと言います。
そんな生活をしながら、受験の時期を迎え、それぞれ大学に進学し、村上校長は働きながら通えるよう、夜間部のある大学へ進学しました。

働きながら大学に通っていましたが、大学2年の夏休みにたまたま岩手に帰省したときに体調を崩して入院することに。東京にある大学に戻るのも難しい状況になります。
その後は、地元の大船渡でアルバイトをしながら過ごしていました。そんなある日、高校時代の担任に再会します。

村上校長:「先生に『いつまでもこんなこと(アルバイト)してるな』と言われたんです。工業高校卒業だったので、先生の紹介で工業科の実習教諭に申し込むことになりました。実習教諭になるための試験の締め切りがその日の次の日だったので、急いで準備をして申し込みました(笑)」

無事に実習教諭になり高校で働き始めましたが、教員免許を持っていなかったので、実習教諭をしながら長期休みに大学に通って教員免許を取得しました。その後、教員採用試験にも合格し、実習教諭から教諭に。この頃、働きながら通信制の大学で学び、無事に大学を卒業することができました。教諭になって少し経ってから教務主任を任されます。

村上校長:「教務主任の多くは40代でなることが多いのですが、私は39歳のときに任されたんです。それから12年間、教務主任を務めました」

そんなとき、当時の学校長からこんなお話が。

村上校長:「校長に『いつまでも教務主任なのはもったいないから、まずは副校長の試験を受けたら』と言われて。すごく尊敬できる人だったので、言われるがままに副校長の試験を受けました(笑)そして副校長になったんですけど、副校長は席も職員室にあるので、気分は教諭とあまり変わらなかったです」

副校長になったものの、「このまま教員生活が終わるのは…」と思い、校長の試験を受けることを決めます。

村上校長:「常に教員として成長したいという気持ちは今でもあって。自分もプレイヤーの1人という感覚です」

そんな村上校長は、自分自身をいい意味で「校長らしくない」と言います。

種市高校を地域の灯台に

 全国で唯一の海洋開発科はもちろん、普通科の総合的な探究の時間も種市高校の特色のひとつになっています。

村上校長:「入試制度も変わって、総合探究をいかして生徒の能力や特性をいかせるようになっています。それは種市高校の生徒にとってもいいことだと思います。それを認めてくれる大学も増えてきていますし」

大学は研究する場所ですが、高校でそのような学びや経験をしていない人がいきなりできるものなのか、と疑問に感じていた村上校長。種市高校のように、高校生のうちから自分の興味関心のあるテーマについて探究学習をしてきたような生徒が、大学でさらに学びを深めることができるのではないかと希望を抱いています。
また、高校の魅力化や普通科の総合的な探究の時間をサポートするコーディネーターについてはこう感じています。

村上校長:「少し照れくさいですけど、一言しかなくて。コーディネーターは種市高校の宝です。高校として失ってはならない方々です」

地域にひらかれた学校にするためにも、地域との連携は必要不可欠です。コーディネーターは地域連携のプロであり、生徒のことも教員のことも支えてくれる存在だと語ります。

これまでたくさんの周りの人に支えられてきた村上校長だからこそ、種市高校で生徒や教員、コーディネーターと共に歩むことができるのではないでしょうか。村上校長は、種市高校で“新しい校長のかたち”をつくっているといえるでしょう。


(2022/3/30 取材・執筆:千葉桃子【魅力化協働パートナー】)


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種市高等学校
岩手県立種市(たねいち)高等学校は、岩手県最北端に位置する普通科・海洋開発科の2科併設の県立高校です。普通科ではきめ細やかな少人数指導、海洋開発科では「南部もぐり」をはじめ、全国に通用する潜水士を育成し、部活動ではレスリング部が全国大会へ多数出場しています。